恍惚の日々 (1)

 雪のない正月な~んて戯言を呟いていたら、一夜にして積雪およそ100㎝。
降雪がなく、除雪業者の資金難救済のため県が経費を前倒しで支払したとたん、このありさま・・。随分有難い世の中になったものだ。
 
 年金も半年分前払いしてくれないかなぁ。返済みとうし限りなく0、保証人0、不動産・預貯金0。漂流老人でないのが、せめてもの救いだ。
 神様仏さま。安倍さん・トランプさん、習さん、プーチンさん。それに真実を都合よく歪曲し購読料獲得に専念するマスコミの皆さん。ポピュリズムでも独裁でも結構だが、地球上にこうも人類があふれては、政治・経済・信仰など、人類が2000数百年かけて築いてきた”生活の知恵”である社会的秩序は半ば崩壊し、目的を外れて手段のみにこだわる世界に棲息することは飽きたわ・・。
 余命のあるうちに自炊から脱出して温泉につかり岩魚の塩焼きをつまみに税務署も黙認の銘酒”ドブロク”を堪能したいなぁ。



庭(人様)の老松に降り積もる雪を恍惚と眺めているうちに.”般若の知恵”都合よく解釈して、朝酒をノ~ンビリと楽しんでいるうちに、60数年前の我を想い出し、老松の枝の様に老いくたびれた心に”我よく戦えり”と賛辞を贈った。


豪雪を知らない都会生まれの少年の身で、戦後の食糧難から亡父の故郷である”豪雪”もっとも今では”魚沼コシヒカリ”で名高い越後の国に移住したが、この時期、勿論重機などなく、朝6時、勤め人や学童の通路確保のため、部落の慣習に従い、自己の屋敷内の県・町道をやっと覚えたカンジキで踏み固めたものだが・・。
子供の体力・要領の悪さから、人の2倍の時間をかけて踏み固め、体力消耗で授業の1時間めからウトウトしていたが、理解ある教師も大目に見てくれたものだ。


不思議とその頃、寒かったとゆう記憶がなく、湯たんぽの炬燵(電気代節約)に入り、体内から加熱しているせいか?


傘寿を超えた恍惚の世界では、屁理屈はどうでもいいや・・ 南無阿弥陀仏






雪のない正月

こんな珍しい冬は、80数年生きながらえてきて初めてだ
北京のスモッグを他人事のようにニュウスで視聴していたが、地球温暖化が身近にせまっていることに、今更ながら驚いた
傘寿の”酉”年。
政治も気候変動につられたのか、または、その逆か、人工知能も結構だが、歴史は確実に70数年前に逆流しているようだ
戦後、貧苦に耐えても心に希望が輝いていた、昭和の時代が懐かしい。戦争は嫌だが・・